
私のお礼があなたに届いた時、もしかしたらもう私は。
大切な人にはちゃんと、「私はあなたを大切に思っています。いつもありがとう。」と伝えるようにしよう。気づいたときには、もうどうにも伝えようが無い、なんてことも起こり得るのだ。人生には、いつ何があるかわからないのだから。
そういう意味では、あのオジサンなんて常に感謝の気持ちを周囲に振りまいていて偉い。あまりにも感謝の気持ちを振りまきすぎて、もうあのオジサンに「ありがとねっ!」と言われたところでなにも感じなくなってしまうのではないかと心配もしたものだが、ご安心を。あのオジサンの言うありがとうは実に気持ちがいいし、あのオジサンでなくても、人から感謝の気持ちを向けられることに飽きることは無い。毎度毎度「感謝の気持ちをいただいて嬉しくなりました。こちらこそありがとうございます。これは喜びのことです。」という気持ち、気持ちぃ気持ちになる。
ところで、あのオジサンは最近、どこで覚えたのか知らないが、「ありがとう」を他の言い方で言うことがある。
この間も、あのオジサンが「頼みの綱のトイレットペーパーが無くなったんです。僕はもう終わりだ!」と言って泣きながら遺書を書き始めたので、
「オジサン、その程度のことで泣くでない。死のうとするでない。なんちゅうデストロイな情緒しとんねんワレ。ほれ、私のTP(トイレットペーパー)をやろう。これを使え。そして遺書を破り棄て、また新しい明日に向けて走り出せ。」と私のTPを与えたところ、オジサンはそれを私の手から恭しく受け取り、満面の笑顔で私にこう言った。
「うんっ!うんっ!これねっ!ありがとねっ!ありがとねっ!再見(ツァイツェン)!」
むむ、再見とな?中国語?
確かにオジサンは図鑑で見た北京原人のような原始の顔つきをしている。オジサンのルーツが北京にあるとすれば、中国語を使うのもそう不思議なことではないだろう。ただ、私の記憶が確かなら、再見とは中国語で''さよなら''を意味する。もしオジサンが感謝の気持ちを私に伝えるつもりなら、ここは''謝謝(シェイシェイ)''が正解ではないのか。
それとも、帰るのか?
いや、オジサンにそんな素振りはない。もらったばかりのTPを眺めて嬉しそうにしている。
「オジサン、再見って言った?」
「うんっ!再見ねっ!言うよねっ!これほどの施しを受けたとあれば、やはりそれくらいの感謝は放出しておかないとねっ!君には本当に感謝してるねっ!」
それだけ言うとオジサンは、「TPを漬けるダシ醤油を買うてこなあかん。財布財布。」とかブツブツ言いながら外の世界へ飛び出して行った。
やはり帰ったのか?
と思ったが、ややあってオジサンが帰ってくるときのサイレンが響き渡った。
オジサンはバタバタと玄関からこの部屋まで駆け上って来た後、買ってきたダシ醤油にTPを漬ける作業を始めた。さっきまで自分のものだったTPが、目の前でダシ醤油に漬けられていく様を見るのは、なかなか乙なことであった。オジサンの作業がひと段落したのを見計らって声をかける。
「オジサン、再見ってどういう意味か知ってる?」
「うんっ!うんっ!再見ねっ!さっきはホント再見ねっ!おかげでほら、こんなに良いTPのダシ醤油漬けができたよっ!今年のTPは出来がいいみたいねっ!」
「オジサンさ、再見ってサヨナラって意味だよ。中国語で。」
オジサンは持っていたTPのダシ醤油漬けが入っている壺を手から落とした。ガシャンと割れる壺に、私は或る季節の終わりを感じていた。
床へ落ち、飛び散ったその瞬間にTPのダシ醤油漬けは、バスンという音を立ててまだ見ぬ約束の地へと霧消していった。
オジサンは自らの覚え間違いを恥じたのか、それはそれは顔を真っ赤にして「もう僕のことは殺してくださいっ!」と叫びながら元の虚空へと消えていった。と同時に天空には、
「これがホントの再見ねっ!」
というオジサンの声が響いた。
オジサンは帰ったようだ