北京チョップ

 

「最近流行りのグランドファンディーグにより、みんなでゴリラを飼いたいと思います。」

 

私は彼の味方なので、彼が今なにを言ったのか必死に理解しようとしたが、無理でした。

 

''グランドファンディーグ''とは、おそらくクラウドファウンディングのことであろう。

名称こそ間違っているものの、流行に常にアンテナを張り、世の中の流れを冷静に見極める力がある彼だからこそ、こんなオシャレな横文字がパッパパッパ出てくるわけだ。

 

私が理解しかねたのはその先だ。

彼は''みんなで''と言っているものの、今この場には私と彼しかいない。

もし彼が私に対して提案しているのであれば、''みんなで''とは言わず、''あなたと''という言い方をするだろう。しかし彼は''みんなで''と言った。

ということは、彼はもう私以外の誰かとすでにナシをつけており、今回はその報告をするということで私のところへ来たのだ。

では何を報告しにきたのか。

ゴリラを飼うことである。

 

私のこれまでの人生のなかで、ゴリラを飼っているという人に出会ったことがない。

それなりに長く生きてきているはずなのだが、「うっとこゴリラ飼うてますのえ。メスの。メスゴリラ。」なんて自慢している人に、1人も会ったことがないのだ。

ということはゴリラは飼えないのではないか。

少し考えてみれば、その理由が浮かび上がってきた。

 

まずゴリラという生物は、産まれたての赤ちゃんゴリラでもない限り、人間よりもはるかに強い。握力が500kgある。すごい。すごい握れる。そんなもんに握られた日には、私の細い腕など、水風船のように爆裂してしまうだろう。それはとても辛く悲しいことだ。

そんな激烈な強者と、ひとつ屋根の下で過ごすなど、命がいくつあっても足りない。しかも相手は話の通じない動物だ。さり気ないすれ違いから、いつ腕を握りつぶされてしまうかもわからない。朝起きたら腕が爆裂してました、なんてことにもなり得る。そんなカオスな日常は誰だってゴメンだ。なるほど、たしかに大型の類人猿をペットとして飼うのは難しそうだ。

 

そしてゴリラという生き物は、たぶん何かしらの保護条約的ななんかがあって、おそらく素人がおいそれとペットに出来る生き物ではないはずだ。なぜなら実はゴリラはその強さとは裏腹にとても気が弱く臆病なため、人前(ゴリラ前)でなかなか本当の自分を出せず、それが切なくて個体数をガンガン減らしているらしく、絶滅しかけっぽいのだ。

さすがに絶滅しかけっぽい動物を、いくらクラウドファウンディングとはいえ気軽に飼うことは出来ないだろう。

そんなことをしてしまえば、クラウドファウンディングの神と言われている人に激怒されそうである。「クラウドファウンディングをそんなことに使うな。ゴリラ可哀想やんけ。」とネチネチと説教されることは間違いない。

 

このままことが上手くいけば、彼はクラウドファウンディングにより、みんなでゴリラを飼うだろう。

しかしすぐに世間から猛バッシングを受け、やがて彼は4月の晴れた日にクラウドファウンディングの神と言われている人に呼び出される。

彼がクラウドファウンディングの神からネチネチと説教されているのを、彼の友人である私は黙って傍観しているだけなのだろうか。私は目の前でネチられている友人に何も手を差し伸べないような、そんな人間になるために今まで生きてきたのだろうか。

否。否である。

 

彼がネチられないために私が出来ることはなんだ。そんなの決まってる。

できるだけソフトに、やんわりと、彼にゴリラを飼うことを諦めるように説得するんだ。

そして彼がネチられることを阻止するんだ。

私はゆっくりと彼のほうに向き直して言った。

 

「クラウドファウンディングにより、みんなでゴリラを飼う計画はやめたほうが良い。そんなことをしたら君は、クラウドファウンディングの神と言われてる人にネチられることになる。私はそれを黙って見過ごせない。そんな私だ。」

 

すると彼は暫時俯き、顔をパッと上げたかと思うと「北京チョップ!」と叫びながら私の脳天に北京チョップをかましてきた。ムカついたのでテーブルの上にあった彼の携帯電話をひったくり、「北京チョップ!」と叫びながら真っ二つにへし折ってやった。

 

「そんなの北京チョップじゃないよ!あんまりだよ!」と泣きながら二つに割れた携帯電話をくっつけようとしている彼をおいて、私はひとり店を後にした。4月の晴れた日の出来事である。