
蓋の部分が金網みたいになってて、そこにたぶん蚊取り線香を入れられるから、火種が外に丸出しにならないのでラッキーなのだろうけど、そもそもこの蓋と金網はどうやったらパカと外るるのかがわからないまま大人になってしまい、そしてまた何度目かの夏を迎える。
いつだってそうだ。そうやってこの齢までむざむざ生きさらばえてきた。
駅から家までの道を歩っていると、後ろからにぎやかな話し声が聞こえてきた。
「トム吉はおヨネのことが好きなんだよ。」
「まあ、そうなの。たしかにおヨネちゃんは可愛いものね。目がクリとしていて、明るくて。それでいて瀟洒な印象も忘れないで。」
「僕のクラスではね、最近SHOW-Tと朝マーンが急接近しているんだ。これは交際間近とみたね。僕といえば、休み時間は校内のどの水道の水が一番おいしいか、テイスティングし続ける毎日さ。やはり肉料理に合うのは旧校舎二階の水道の右端の蛇口だね。カルキと錆びのハーモニーがワイルドかつ上品で、でも個性もしっかりとある。今度ウチで肉料理を出すときは言ってね。汲んでくるさかい。」
「まあ、そうなの。朝マーンちゃんって、あのうどん屋さんの娘さんよね。たしかに可愛いわよね。そのアンニュイな雰囲気は成熟した大人のようであって、しかしまだまだ少女らしい無邪気さも併せ持つ。あのコは女優いけるわよ。あまり水道水ばかり飲まないようにね。お腹こわして授業中にウンコ漏らすようなことになったら、あなたの小学校生活は終わりよ。お父さんがそうだもの。」
声から察するに、小学校くらいの男子ふたりの兄弟とお母さんだ。三人でゆっくりと自転車をこぎながら楽しそうに話している。
久しく家族の団欒というものに触れていない僕にとって、楽しそうな三人の話し声は遠い故郷を思い出させ、そして愛する母を僕に思い出せた。手に持ったスーパーの袋には、僕の分だけの食糧が入っている。でも今夜は、無性に誰かと食卓を囲みたくなった。
やがてふたりの兄弟とお母さんは、僕のことを横からゆっくりと追い越していった。自転車とは思えない、早歩きのような速度で、三人はケラケラと明るい笑い声をあげながら街灯に照らされた道を行く。
ふたりの男の子はやはり小学校生くらいで、ふたりともサッカーのユニホームらしき服を着ていた。今日は試合でもあったのかな。僕を追い越していく兄弟から、かすかにグラウンドの砂埃のにおいがした気がした。
ふたりの兄弟のあとをお母さんが行く。子供たちに合わせてゆっくりと自転車をこいでいる。でも、このお母さんは本当はもっと早く自転車をこぎたいに違いない。もっとぶっ飛ばしたいに違いない。
なぜならこのお母さんの乗っていた自転車は、競輪選手みたいな、前傾姿勢で風を切り裂いて走るタイプの、本格的な自転車だったからである。主婦の方でこのタイプの自転車は珍しい。
「なんでそんな自転車やねん」
僕は思わず心のなかでツッコんでしまった。そのツッコミが自分でおもしろくなってしまい「ヒャッ!」と笑い声をあげてしまった。お母さんが一瞬僕のほうを尻目に見た気がする。慌ててマフラーで顔を隠すが、目の前をゆっくりといく本格的な、ハンドルがギュルンッ!てなってる自転車に乗るお母さんを見ると、もう笑いが止まらなくなっていた。
マフラーで顔を隠しながら小刻みに震えている僕は、もしかしたら泣いているようにみえたかもしれない。
中途半端に大人になってしまった。いつもならうっとうしい母親からの電話だけど、今夜はなぜか電話が鳴るのを待っている僕がいた。