
男なら、やらねばならぬ時がある。
そして、ポキーノちゃんが叫んでいる時が、そのやらねばならぬ時だ。
これから先の人生、後悔したくないならやらねばならぬ。
逆に言うとポキーノちゃんが叫んでいない時は、実はそんなにやらなくていい。やり損とまでは言わないけど、やったところで別に、事情を知らない人や、動物犬に言っても「ごちゃごちゃ言うてんと勉強せい勉強!」と言われるのがオチである。
但し注意しないといけないのは、ポキーノちゃんが叫んでないからやらなくていいや、と放置しておくと、それはそれで「こら小僧、やらんかい。貴様は結局ポキーノちゃんが叫んでるからやってるだけで、叫ばなかったら特に自主的にはやらないというのは、貴様はやるかやらないかを全てポキーノちゃんの叫ぶ叫ばないで、他に委ねているということで、なにひとつ自主的にやっていないということで、それならポキーノちゃんが叫ぶと反応する、やってくれる機械ロボを開発すればいいだけの話で、しかし私がなぜそのような機械ロボを開発しないのかというと、ビコウズ私が望むのは"心で動く"ということなの。心が動いたからやる。それを大事にしてほしいからなんですね。」とやらなかったこちらを責められるのは明らかなので、やり損を解ってはいても、やはり人として正しい道を選ぶとするなら例えポキーノちゃんが叫んでいなくてもやる時はやる。というのが最近のトレンドですね。
ただ、みなさんはこう思うハズです。「ほんならワレがやったらええやないか。」
これは本当にその通りなんですよ。人にばっかりやれやれ言うんなら、自分でやればいいじゃない。それが一番話が早いじゃない。
でもやらないですね。そういう人種は。
手前ではなにもしないクセに、人にばっかり口出す奴輩。それは斬りましょう。
斬って適当な道端に捨てましょう。それでいいんです。
法はあなたを許さないでしょう。しかし安心してください。
そういった人斬りの場合、斬った瞬間にあなたの魂はあなたの身体を抜け出し、義を為した者の魂だけが辿り着ける永遠の天に昇るのです。
反対に斬られた奴輩は、絶命したと思いきや、あなたの代わりにあなたの身体(魂の抜けた後のただの肉と皮の袋)に押し込められます。そしてあなたの、人斬りになってしまったあなたの人生を代わりに生きていくのです。それはとても辛く、長い人生であることでしょう。その時にその奴輩が感じる辛さが、またどこかでポキーノちゃんを叫ばせるのです。ポキーノちゃんが叫ぶということは、やらねばならぬ時ということなので、そして誰かがやる。そうして繰り返される男の孤独と矜持のすべてが、しょーもない男子大学生を生むのです。テニサーやイベサーに所属している男子大学生には残念ながら何の才能も無いのでポキーノちゃんが叫びます。やりましょう。斬りましょう。