平日昼下がりのガラガラの中央線で、俺の心もガラガラになり、頭は茫として慣性の法則のままにただただ揺曳しつつそこへ存在するだけの存在となっておりまして時折、「あ、島忠。」とか思うだけで見える景色をそのまま心の中で反芻するだけで新宿駅までの遥かなる各駅停車をガラガラになり茫としてやり過ごすしか方法がなかったのです。

 

斜向かいに座る核家族の有様はというと、母親はスマホをいじりつつ息子の話に対し明らかに適当に返事をしており、父親は眉間に皺を寄せて狸寝入りしており、しかしお父さんがガチのマジで寝ていないことなど息子は知っており、たまに父親にも話しかけるのであるが、母親同様これも適当に返事をされていてああ、この両親は二人の愛の結晶そのものである息子よりも、(今は)薄いエレキな板と睡眠欲のほうが大事なんだな。と思って俺がなんだか少し悲しくなっていたかたいうとそんなことは無く、なぜならその息子というのがこのクソ寒いのにサンダルを履いており、服も長袖のトレーナーに半ズボン、足を座面に上げてM字開脚をしつつブドウのガムを次々と口に放り込んではクチャクチャしている、一言で言えばクソガキであり、可愛くもなんともなかったからである。

 

ほならクソガキは親に放置されて寂しい思いしてもええんかいというとそんな訳は無く、いくらクソガキとはいえ、一生懸命話しかけてきてるんやからせめてスマホから目を離してちゃんと息子の目を見ろどアホが、と俺は激怒していた。

 

そもそも両親がちゃんと常に愛情を持って接しておればこんなクソガキに育ってしまうことは無く、電車の中でもお行儀よく座り、ガムも味が無くなるまで噛むし、サンダルはサンダルのシーズンにのみ履く、という風に育つ筈であり、手前等の息子がそんな漫画みたいなクソガキに育ってしまったのは手前等の子育てに対する手抜きが原因だと思うんです。

 

 

このクソガキが将来家族を持っても、おそらく今の手前等と同様、手抜きの子育てをするのは間違いなく、なぜなら子は親を見て育つ、手前等の息子への接し方をそのままこの息子もしてしまうのは明らかで、こうしてまた息子の息子はクソガキに育ち、クソガキgoes on。ガラガラで茫。