
僕が学生時分のときに流行ったものといやぁ、「恋空」に代表されるいわゆるケータイ小説である。
僕らはモバイル・ジェネシスのど真ん中で青春をしていた。甘酸っぱい恋をたくさん経験して大人になっていく思春期の僕たちにとって、同世代の恋愛模様を描いたものが多いケータイ小説というのはとても刺激的で、また携帯電話というガジェットを通すことによって、いっきに親近感が増す、感情移入できるというもので僕らは競って面白いケータイ小説を探しては学友たちと涙を流して読んだものさ。
僕においてはこういう性格なので、ケータイ小説という新たな文学のジャンルを知り、様々な作品を読んでいくうちに「読むよりも書きたい」と思うのは当然のことで、実は密かにケータイ小説を書いていたのだけれど、発表しなかった、できなかった。なぜなら高校のころ、僕には彼女がおらず、どころか女子の手を握ったこともない、つーか高校三年間で女子と会話した時間なんて合計40分くらいという超絶女子苦手系男子だったので「そんなワレがケータイ小説?笑かしよるで。おまえみたいな童貞が理想妄想だけはパンパンで全くリアリティの無い恋愛小説なんか書いたところで誰が興味あんねん。てゆーかケータイ小説やのに原稿用紙に書いてどないすんねん。まあアホの考えることはわからんから好きにしたらええけど。」ってな感じでバカにされることは確定しているので、そんな恥ずかしさもあって発表できなかったんだ。
しかし今回、10年の時を経て僕が書いたケータイ小説をこの場を借りて発表しようと思いました。読め。
ケータイ小説~恋桜~
俺の名はサワキ・リュータ、高校三年で不良のヤンキーだ。ヤンキーなので本名を漢字でかくことはできないけど、そんな簡単なことさえしてやれないけど、別に日系人とかじゃないけど、それでも両親仲間親やダチには優しいし感謝してるし、でも本来は両親仲間親やダチ以外にも優しさと感謝の気持ちを忘れてはいけないんだけど、とりあえずは身近な人に感謝をしているということで、不良のヤンキーだが感謝の気持ちは人一倍ある。そんな感謝してる人とかのなかでも一番感謝しているのが彼女のミホ(いずれ死ぬ)だ。
ミホと初めて出会ったのは中学に入学したときだ。入学式で初めて顔を合わせる隣の小学校だった野郎どもとしのぎを削っていたあの入学式で、俺はミホに一目惚れした。
ミホからしたら俺の第一印象は最悪だったらしく、不良のヤンキーという第一印象だったらしい。しかしその第一印象は、実は俺が両親仲間親やダチへの感謝がすごいということが判明していくうちに徐々に溶解していった。
喧嘩に明け暮れた中学三年間の隙を縫って、中二のころに俺がミホに告白して付き合った。キスもしたよ。そして中学を卒業して俺は工業高校へ、ミホはいずれ死ぬけど私立の有名な進学校へと、それぞれ別々の高校へ進むことが決まった。
別々の高校になっても俺はミホを守る。なぜならミホに告白した日、あの日の夜空に俺は誓った。「ミホを守り抜く。」って。って。
だから別々の高校になってもミホ(そろそろ死ぬ)を守り抜くと決めていたけどミホはなんか漢字が多い名前の病気で死んだ。高二の春に、桜の木の下であっけなく死んだ。俺は泣いた。なのでこのケータイ小説のタイトルは「恋桜」っていうねん。
ケータイ小説は主人公のカップルのどっちかが必ず死ぬ。死ぬというもっともひねりの無い悲劇で、確かに愛した人が死ぬというのは悲しいことであるがそもそも死なない人間なんていないし毎日この世界では何万人という人が死んでいるわけで実は僕らが毎日生きているこの日々は毎日が弔いの日なのであるが基本的に知らない誰かの死は知らないし、別に死とは感動のトリガーには僕の場合はなり得ないのであるが、しかしケータイ小説を読むようなやつは脳がどうしようもないパッパラパーばかりだったのでそんな安易な感動で泣きじゃくていた。ブスのくせに。死ねば死ぬほど「感動!」つって泣くので調子に乗ったケータイ小説作家は一つの作品で最高800人殺した。それはもうシリアルキラーですね。
ミホ死んだから泣けよ。あと主人公の親友含め100人死んだからそれも泣け。
-fin-
以上になります…。