Are you happy? おしっこ?

 

 この世知辛き-KUSO-みたいな現代社会な世の中な、自信パンパンでウルトラ胸張りで「はい、私は、わたくしこそは幸せの者でございます。」と言い切れる方は、全人口に対していったいどんくらいの割合で存在するものなのでしょうか。

 一説によると、一説つーか俺が読んだ物の本によると、幸せというのは一度始まったが最後、あとはもう幸せが矢継ぎ早、ピンポン録音状態で貴様らの生活に襲いかかって上書き上書きで充満ジューマンするそうです。

 いわゆるハッピーの連続というアレです。アレで。そしてハッピーの連続、寄せては返すハッピーの波。そして気づけば、あれ?モッピー?あ!モッピーきてる!モッピーも連続きてる!と、珍しいことがあるのがこういうことです(Smile again)。ハッピーの連続のあとにモッピーの連続。泣ける。泣ける瞬間。仲間とともに分かち合う最高の時間。至福のひととき(ひらがなにすることで”ひととき感”も殊更UP、クライアントさんの収入UP(嘘)(KUSO))。

 そんなハッピーの連続モッピーも連続な時間を過ごしていると、やはり次のステージ、ネクストステージがきますよね。それが人情、義理人情、やっさいもっさい、。

 モッピーも連続きたあとのお楽しみといえばそう、おじさんの連続(派手な)ですね。

 

 おじさんの連続(派手な)こそまさにこの世の春、死んだ魚の死体、副業で荒稼ぎ、溢れ出るモイスチャーミルクに対するドン引きの嵐と相場は決まっております。不必要なターンからのおじさんの連続(派手な)。極彩色の。邪魔すぎ。人はこう思います。「モッピーの連続きてたときにもどりたい。」こうなるとやはり浮世に対して迷惑千万であるがゆえ、モッピーの連続きたくらいで打ち止めにしておくのが良きというもの。牛のおしっこというものです。(泣)